47章 泥濘に術を知れ
夜が明けて起きたのは朝。といっても太陽は空に見えないけど。おかしいなあ、砂漠なのに。
砂漠って、いっつも日照りでしょ? なのに今、雲があるよ。どんよりした雨雲が一体を覆ってる。
空気は少し蒸し暑い。昨日のあの日差しの痛みはかなり和らいでるとはいっても。
今日は曇り、なのかな? だったら日中でも昨日ほど暑くないかも……
鈴実も機嫌を直してるし。砂漠の王者の岩場からもかなり離れただろうから、もう安心かな?
今のところ心配なのは、ガーディアがどこまで行ってくれるかなんだけど。
元々ガーディアとの契約って大それたこともしてないからなあ。どれくらい私の言うこと聞いてくれるんだろう?
ずっと、傍にいてくれれば良いなあとは思うけど。出会い頭にあった群のリーダーだったし。
ガーディアはガーディアで忙しいみたいだし、私の都合でそう長くは引き留められないよね。
ほんとに行っちゃうときは私が頼んでも問答無用で行っちゃうけど。魔獣にも魔獣の都合ってものがあるみたい。
「で……どうすんだ?」
私の下が小さく揺れた。今はガーディアの頭の上らへんの場所を陣取っていたから。
ここがちょうど周りを見回しやすいんだよね。問題点はガーディアが口を開くとぐらぐらするってとこ。
今までずっと宙を蹴るばかりで、ガーディアはあんまり砂漠に足をつけなかった。
たまに砂漠を蹴ると私たちに伝わる衝動があるけど、それ以外は掴まってなくても落ちる心配もなし。
大気圧の変動がゆるやかな中で風を切っていく程だから砂嵐に遇うのはたまにキズだけど。
でもガーディアの白い毛の中に埋まってれば砂に目が痛むこともなかった。野生なのに体毛ふかふかだし。
「何? ガーディア、どうしたの?」
これなら最初からガーディアに頼れば速かったかな。うーん……あ、でもやっぱりダメかな。
炎天下の中ガーディアに乗ってたら外套が風ではだけて火傷しそう。
それに繰り出す技から考えて、氷タイプっぽいガーディアに夏はあの日差しは……
氷は熱気で溶ける。ガーディアが砂漠のど真ん中で溶けて水になっちゃう?
思わずそれが頭の中に飛来して私は頭をぶるりと一振りした。
「なーんでお前は毎回あたしの頭に乗ってるのかねぇ……?」
ため息をつかれて私は首を傾げた。それって疑問にするほどのことかな?
だって、頭の上が一番高い所だし。何が来るかわかりやすいよ。
「ここが一番見回しやすいんだもん。当然でしょ?」
私がそう言ったらまたガーディアはため息をついて、あーそうかいと言って口を閉ざした。
そこで言葉は区切れた。そうだね、頭の上にのっかられたらむっとするのも当然だよね。でもここがいいの。
うーん、私みたいな魔法の素人でもガーディアと契約できて、今すっごい楽してるのに。
どうしてわざわざ別の国の人間にお遣いさせるんだろう、カースさん。この世界のお城って、どこも人手不足なのかな。
光奈のとこの場合、あんまりお城で人見かけないからわかるけど。あんまり人とすれ違わないから。
でも、あのガキのとこは……ねぇ? 単に人の使いどころを間違えてるだけだと思う。
あんなのでよく他国に攻め入られないなー。絶好のチャンスじゃない?
暗躍する人が片っ端から密偵を潰してるからまだ大丈夫なのかな、あの国は。
っていうかむしろ、そういう方面にこそ向いてるの……?
……。実例といえばバンパイアが国の重役についてるし、レイは半分魔物で殺人鬼。
いや、レイは魔物とかそういうの関係ないけど。あれれ、かなりやばくない? もう十分に腐敗してない?
どういう人選してるんだろ。あの国って…………かなり感覚おかしいよ。
カースさん、真面目に人を仕切ろうね。人だけじゃなくて魔物も混じってたけど。
暗い事情があるカースさんなら人でも受け入れてそう。いいの? 平然とかなり強い魔物を放っておいて。
問いたくても、この場にはカースさんもいなければレイもいなかった。
魔物の討伐部隊編成したことあるのかな、死山での魔物との遭遇率は高かった気がする。
「それはそうとよ。高山が見えてきたぞ」
ガーディアは何か思うところがあったらしくて一人考え込んでたけどふと頭を上げた。
すると私の体はずるっと後ろに滑るからガーディアの体毛を掴む。
そうしたら小さくガーディアがちっ、と舌打ちをする。痛くはないけど掴まれるのは好かないらしかった。
山、と私は首だけ後ろを向かせた。お遣いの内容、確か手紙を受け取った後はなんとか山に行けって……
なんとか山に行ったら、誰かさんにあって手紙を渡せって。私達が目指してる山、えーっと。
「美紀ー、山の名前なんだったけー?」
美紀はすぐデリス山よ、と教えてくれた。ありがとっ、と私はまた叫んだ。
この調子だと私一人じゃ到底旅を出来そうもないなあ。やっぱ美紀や鈴実がいないと。
靖とレリが一緒だと一人旅とあんまり変わらないから二人は勘定にいれてない。
キュラは……私は首をひねって探した。昨日からずっとレリに寄り添ってる。
あの様子だとまだ起きてないのかな。レリって寝起き悪いからなあ。お疲れさまー。
うん、キュラは要領よさそうだから地図があれば何とか出来そうだなあ。きっちりしてそうだし。
って、この旅はキュラが案内役なんだっけ。いっつも引きずられてるからそんな気しないけど。
意外とちゃっかり、しっかりしてる。いっつもにこにこした顔でやることはすごいよね。
砂漠の王者のところから逃げるとき物資を確保してたりするところとか、実行できるのもすごい。
そこまで考えてから首を元に戻して、私は目をこらした。あ、私にもなんだかうっすら見えてきた。
「それってデリス山なの?」
「人間のつけた呼び名なんざ知るか」
それも確かに。私はその答えに妙に納得してしまった。
そうしてるうちにも山の輪郭がくっきりしてくる。
「えーと、とにかく山なんだよね。山の麓まで行ってくれる?」
「そこが目的地なんだな?」
「うん!」
そう言葉を交わしてるうちに私にもしっかりと山脈が見えてきた。あれが、デリス山?
目に映ったのは天にも届きそうなほど高くそびえたつ山々だった。
山脈はでこぼこしてないように見える。まるで防砂堤としてあるみたい。
どれが何山かなんて判別できないし山脈っていっても良いような気もするけど。
山っていうには、うーん。だだっ広くてかなり規模が大きいよね。
単に名前をたくさんつけるのが面倒で一つの山脈を山扱いしてそう。あの子供なら、あり得そうだよ。
……別名、死山だったりしない? 魔物とか魔獣が岩肌からひょっこり出てきたりしない?
見てるだけで、前途多難な気がしてきた。私今からもう鬱だよーっ。
「んじゃな!」
一晩中私達を乗せて疾走していたガーディアはデリス山の麓についたところで何処かに帰っていった。
あれでも私たちを振り落とさないように気を遣ってくれてたみたいで、姿がぱっと一瞬で見えなくなった。
ありがとうって去っていくガーディアに叫んだけど、私の声聞こえたかな?
それについては去る者気にせずで深く考えずに私はくるりと体をデリス山のほうへと向けた。
この山、どうやって登れば良いんだろう。それに、ほんとにこんな山に人が住んでるのかな。
足場はもう、固いしっかりとした地面で少し雑草が生えてるのがわかる。砂漠地帯は抜けたみたい。
山の麓には木がちゃんと生えてるし、奥まった場所に行けば実のなる木もみつかるかもしれないけど。
でも……砂漠に囲まれてる上に他との交流もなしに生きていけるものなの? 貧しいようには見えないけど。
「すごいねぇ」
「一体この山、登りきるのに何日かかるんだよ」
レリと靖の嘆きに私たちは顔を上向かせた。その先に見えるものといえば、緑緑緑の木ばっかり。
頭をできるだけ上向かせても頂上が見えそうにない。どれくらい高いんだろ。
「っていうよりどうやって登山するの? 道具ないんでしょ」
……あ。そうだった。こんな険しい山登るには登山道具が必要だよね。
この山、急傾斜で全貌は近くからじゃわからないくらいだし。
美紀を見ると顔をふるふると横に振った。え、買ってないの?
足りない物の買い出し係には靖も含まれてたけど、はっきり言わなくても明白に荷物持ちだし。
「まさか異世界に来てこんなに険しい登山になるとは予想しなかったのよ」
口頭でさらりと言われたから、心配する必要はないと思ってたみたい。
必要以上に荷を増やしたくないってのは靖にもわかってたこと。
そうだよね、魔法を活用してるから荷物を私たちは背負ってないけど。
いらないものまで買い込んで余計な体力消費の心配はなくてもお金の無駄遣いは良くないよ。
ジュースを一本くらいならいいやって自分に許してたらいつの間にか千円使い切っちゃったりするもん。
「おまけに空は曇ってるし、ね」
鈴実は空を見上げて苦々しく言い捨てた。雨が降ったら濡れるし長い髪が面倒になるから。
さっきからずっと空は薄暗いし太陽の姿が見えない。暑くないのは嬉しいけど、雨に降られても困るんだよね。
雲と雲の流動を飽きるまで見上げてる時間もなく、不吉な唸りが灰色から落ちる。
だんだんそれが生じる感覚が狭まって、これだと本格的に雨が降りそう。
「さっき雷の音がしたぞ。なあ、ここ台風でも来んのか?」
「さあ? でも砂漠に台風って有り得ないんじゃないのかなぁ」
砂漠って、雨が降らないでずっと乾燥してるからできたんだよね?
台風がくるなら砂漠なんてできないと思うけどな。砂漠に台風が通過したらどうなっちゃうんだろう。
「台風が砂漠を通過したら、水分をほとんど落とすでしょうから……大気が湿るんじゃない?」
「そうね、でもこの雨雲は……自然に発生したものでも、海からの上陸でもないわよ」
こんな時でも博識二人は余裕だなあ。落雷の心配をしないで水害のこと考慮してる。
おでこを何かに軽くはじかれた。雨? 空を見上げると、ぽつぽつと、何度も水滴が顔にぶつかる。
「あっ」
「降ってきたわ」
外套についているフードを慌ててかけるとびちびちと驟雨に頭を連打されていく。
しだいに地面を穿つ音や水玉が大きくなって水滴は長い針のようなものになっていく。
とりあえず今はまだ撥水加工されてるらしいから良いけど、早めに雨から逃れないと。
「どこか雨宿りできるとこないかな?」
「でもここらへん砂漠だろ? 平地に木なんて無いんじゃないのか」
「それもそうかもしれないけど……でもここは砂漠の端だし、あるでしょ?」
「キュラ、何か見えるの?」
レリの声にキュラを見るとキュラはどこか一点を目を細くして見つめてた。
私には何も見えない。キュラには見えてるのかな? レイは暗闇でも目が利くみたいだったけど。
「かなり遠いけど……木があるよ」
じーっと見つめていたキュラがそう呟いたのをきいて靖が目を見開いた。
「そうならそうと早く言えよ!」
「キュラって意外と視力良いんだ」
へぇー、とレリは呟いた。レリ、それって遠回しにひどい。
「レリ、意外とは一言余計でしょ」
ぽかり。美紀が軽く小突くとなぜかキュラは苦笑いをする。
これって前にも似たような光景があったような気がするのは気のせいかな。ううん気のせいじゃない。
「そんなことよりも。さっさと行くわよ!」
皆がのんびりしてると鈴実が一喝を入れた。鈴実は雨が嫌いなだけに。
「うん。鈴実は雨に濡れるの嫌いだもんね」
キュラの見ていた方角へ数十分歩くと実際に一本の木があった。
そこへ駆けこんだ途端雨は強く降ってきた。ざぁぁぁぁって勢い。
鈴実は雨宿りできる場所を確保すると、俯いて顎に手をかけた。あ、鈴実今考える人だ。
しばらく雨粒を振り落としもせずに何度か呟いて、私へ顔を向けた。
「雷が落ちないと良いわね……」
その時の鈴実の声は、微笑みとは反対に苦みの入り交じったかすれた声だった。
「鈴実、疲れてるの?」
「そうね。……そうかもしれないわ。ちょっと休ませて」
「……この先を進んでほんとに大丈夫なのか? 俺たち」
いつまでたっても雨は止まないから、しょうがないから私たちは山を登ろう。
そう決めて雨宿りしていた木から一歩出たのは良いんだけど。
「砂っていうより泥じゃない……」
げんなりとした元気のない声で鈴実がいう。雨が降るまでは完全に砂漠だったのに。
私たちの目の前にあるのはもう砂漠とは思えない風貌になっていた。
「砂漠じゃなくて泥漠?」
「そんな単語は多分世界中のどこ探してもないから、レリ」
「だよね。上手く言い表せる単語が思いつかないや」
雨に遮断されながらも目に映ったのは泥、泥、泥の平原。言葉が変だけど、とにかくそんな感じ。
そこに足を踏み入れるのはすごく躊躇う、できる事ならば通りたくはないぬめり具合。
片足でもいれたらズブリって音たてながら抜けなくなりそう。雑草はそう多く生えてないし。
「底無し沼って感じだよね……」
雨が止みそうな気配はないし……でもやんだ所で現状が変わらない気がする。
「なあ、どうやって山の麓まで行くんだよ?」
私たちが今立ってる場所を振り返ると山脈がある。
でも、傾斜がとても私たちで登れるような場所じゃないし。登山道具だってないし。
断崖絶壁って程じゃないけど、両足だけで登ろうとするのには無理があった。
両手も使えば登れるだろうけど、それは山の高さを考えると無謀な挑戦。
普通に歩いて登れそうな場所は目に見える端っこ、泥濘を越えた先にしかなかった。
「やっぱりこの泥沼を越えないことには……」
でもそれも危険だし。歩いてて沈んじゃうような気がする。
皆で唸っても良い方法は思い浮かばなかった。そこで皆の視線が自然とキュラに行く。
「いや、あの……そう無言でみつめられても」
「じゃあ何か良い方法ある?」
「方法といえば浮遊術くらいしか。でも」
言葉をつまらせたキュラは泥沼を見つめた。泥沼に何かあるの?
「何でも良いからとにかく言えって」
「僕、浮遊術の呪文を知らないんだ」
得意分野じゃなかったから、と視線に耐えきれなくなってキュラは顔を背けた。
しーん。皆はそのことを聞いて黙ってしまった。
ごめん、てっきりみんなキュラのことを万能タイプだと思っちゃってたんだと思う。
うんでもまあ、攻撃魔法でもなければ日常で役に立つ魔法でもなさそうだし。
キュラって僻地に赴くようには見えないし……見かけだけ考えてみたら。
でもこの世界の地理に詳しいみたいだし、覚醒すると手をつけられないけど結構良いトコとってたから。
いろいろ手段持ってそうだなー、と。はいその実キュラも私たちと同じ14の神官見習い男、でしたと。
みんながっくりしてみせたことにキュラはしょぼんとしたけど、キュラに非はないよ。
「まあ、それはしょうがないよ。ね、じゃあ他には?」
気を取り直して私は聞きなおすことにした。その間も雨は止まない。
雨宿りできる木からはもう結構離れてしまっていて雨に晒されたまま。
早く手を打ちたいのは誰だって同じ。
「道を作る、とか」
「無理ね」
「やけにスッパリしてないか?」
キュラの案を即答で鈴実が却下した。そう考える時間もなしに。
あ、道を作るなんてそんな芸当はどうせできないから時間かけても同じかぁ。
「だけどそうなると打つ手なしだよ?」
浮遊術の呪文を知らないのはしょうがないし、泥沼の真ん中に普通の道なんて作れっこないし。
「こうなったら清海の魔法に賭けるしかないわね」
最後の手段を持ち出したのは鈴実だった。え、どうしてそこで私がでてくるの? 靖が私の言葉を代弁してくれた。
「清海の魔法は風と雷くらいだろ? どうすんだよ」
「清海、雲とかどうとかいう呪文」
……あ! 私はその言葉でぴんと来た。そういえば流砂にのみこまれそうになった時。
咄嗟に口から出た言葉がどういうわけか流砂に呑み込まれなかった。
あれって砂よりちょっと上に浮かんでたんだ?! そっか、その時はまだキュラも気絶して知らないんだよね。
あの魔法で沈まなかったんだ。そっか、鈴実さすが冷静に事態を判断してる!
よーし、やっちゃうよ私。希望がみえてきて俄然やる気が出てくる。
「雲の色よ我に加護を!」
まずは自分に魔法を掛けて私は泥沼の上を歩いてみた。結果、少しも足は沈むことはなかった。
私は皆にも魔法をかけて山の登れそうな場所まで沈むこともなくついた。
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